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 堺の街
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創祀より時を経て、神功皇后は夫である仲哀天皇の死後、朝鮮半島に出兵し新羅・高句麗・百濟を平定した。皇后は新羅から凱旋の途中、皇子(後の応神天皇)とは腹違いの2人の王子の叛乱に遭うが、住吉大神の御神教により、5月晦日、御自ら沢山の平瓦を作って天神地祇を祀り、菰の葉に埴土を包み粽として奉り、方災除けを祈願して皇軍を勝利に導いた。後にこの地に神霊を留め、方違社と尊び奉る。
当神社奉斎地は--「三国山こずえに住まふむささびの鳥まつがごとわれ待ち痩せむ」--と、『万葉集』にも歌われているごとく、摂津住吉郡、河内丹治比郡、和泉大鳥郡の三国の境界なるが故に、“三国山”“三国の衢(ちまた)”また“三国丘”とも称され、奈良時代には僧行基が此辻に伏屋を設け旅人の休憩に供したので、人馬往来の要衝であった。
  また、平安時代には、熊野詣の通過地点であったため、熊野詣での人々は必ず当社へも参詣し、旅の安全を祈ったという。
 この三国の境(ちなみに“堺”の地名はこれに由来する)で何処の国にも属さない、又方位の無い清地であるという考え方に依りその境内の御土と菰の葉にて作られた粽は、悪い方位を祓うという信仰を以て、古きより方災除の神として御神徳を仰ぐ参詣者が全国より訪れる。



三国ケ丘の碑


万葉の歌碑


神功皇后が堺の浦へ御上陸になり三国ケ丘で方違の祓をせられた時、日頃お守りのようにされていた黄金の小雞を丘に埋められ「汝はここで永久に民人に暁を告げよ」と仰せられた。
それから毎朝、東天紅を染むる頃、金鈴をふるような雞の聲が暁を破って朗らかに響き渡るようになり、民人たちはその聲に毎朝目をさました。
方違神社の南方にある鈴山がその丘であると言われている。此の金雞の聲を聞くと幸福が来るというので節分の夜など此の鈴山の麓で夜を明かすものが多かったとのことである。
―『伝説の堺』より―
当社ではこの故事により造られた土鈴を授与している。



神功皇后が御馬をつながれたと伝えられる旧蹟。